「受験」が人間的成長の契機に

2011.07.13

「自分探し」(私はこの言葉は大嫌いなのだが)ではないが、受験という「仮想の敵」を目の前にして、「心の空洞」を埋めようと、いわゆる「自分探し」をしているように感じられる。一見、気楽に生きているように見える彼らでも、ときどきゾッとするようなことをいうのだ。「人間の感性は、すでにサイボーグ化されていますよね」「夢や憧れは感傷にすぎないってことを知りました」「人を愛することの残酷さがちょっとわかったような気がします」「先生の背中に人生を感じました」こんなことを面と向かっていわれても「お前、熱でもあるんじゃないか」と答えるしかないが、成長期の若者と接するのは実に面白い。一面、不真面目のように見える生徒でも、やはり危機意識はあるようで、勉強が苦痛になってその場しのぎの遊びに逃げ込んだとしても、「このままでいいのだろうか」という強迫観念のようなものが「いつも自分を支配している」という。その意味では、昔から鬼っ子のようにいわれ続けてきた受験」というものが今や彼らの人間的成長にとって欠くことのできない制度として機能しているといっても過言ではないだろう。